関ヶ原旧陸軍火薬庫跡

<旧陸軍火薬庫跡>

 「大正初期より昭和二十年までの三十年間、この区域一体は火薬庫として使用されていました。周囲六キロ、面積は約二七〇ヘクタールあり、東洋一の規模だったと言われています。ここに火薬庫がつくられたのは、交通の便はよく、点在する小高い丘は洞窟を築く上で都合がよいなど、立地条件に恵まれていたからです」関ヶ原町

 大垣のお隣、関ヶ原です。その昔、夜にしか訪れない若者のあいだでは「防空壕」とよばれていました。近くまで地主様訪問があったので、十何年ぶりに寄ってみました。相変わらずの様相です。堅牢な鉄筋コンクリートの二重構造で、地下という劣悪な環境にも耐えています。

 若いとき、友人を驚かす目的で、錆びたハンガー什器にぼろ布を纏わせ、捨ててあったマネキンの頭をその上に差込、黒い布を長い髪に似せて掛け、この奥の物陰に設置しました。夕方に一人で準備して、深夜に二人で再度侵入して、まもなく、友人が大声をあげ、転びながら飛び出していきました。その時の悲鳴が忘れられません。友人のあまりの動揺に自分がやったとも言い出せませんでした。当然もうその人型はありません。ただマネキンの頭部は、内側建造物の屋根の部分に今も残っているはずです。

OICS

OICS & BLOG"Ogaki-city Minority Report"

0コメント

  • 1000 / 1000