海津市の売り工場 + 廃工場の怪
上掲の物件とは無関係ですが、ある廃工場での恐怖体験を聴いてください。場所は大垣市の近郊とだけ。市街を抜けた山道沿い。飲食店、何業とも知れない社屋、ゴルフバッティング場などが疎らに建つ侘し気な薄暗い土地に、姿を隠すようにして、その建物は在りました。噂では厚いコンクリートの地面下に何かが埋められているのだとか。そのせいか事故が続いて廃業になったのだとか。 僕がまだ学生のころ。訪れたのは確か深夜二時ごろ。嫌がる友人を無理やり車に押し込んでの訪問です。敷地は二百坪ほど。半分を建造物が占め、道路側の残り半分が駐車場を兼ねた敷地です。建物は三階建ての住宅ほどの高さ。内部は伽藍として何もなく、倉庫のような作業場のような。 駐車場に車を乗り入れた時、建物の奥で、地面に鎮座した黒猫が出迎えてくれました。ヘッドライトに照らされて金色の双眸だけが輝き、怪奇譚盛り上げ効果は覿面です。この日の真の目的は工場ではなく、敷地の余地にあり、道路から建物を遮蔽する繁茂しすぎの垣根に隠れた、平屋の小さな建物です。休憩所というか仮眠所というか。友人曰く、この建物を夜使用すると高い確率で怪現象が起こるのだとか。関係者でもある友人は玄関脇に隠された鍵を取り出して入口を開錠し、ブレーカーの電源をさも警戒する様子で入れました。引戸を明けると正面にトイレと風呂があり、左手が台所で右手が十畳ほどの和室でした。室内からは不気味な音が聞こえます。照明を灯すと壁付けの扇風機が「強」で首を振っていました。 終始落ち着かぬ友人に対し、再度この工場に纏わる経緯と怪現象の詳細を尋ねました。彼曰く、埋められる原因となった事案が起きたのがこの小さな平屋だというのです。彼は僕の足元を指さし、その畳が新しいのはその事を隠すために替えられたのだというのです。確かに僕の踏む部屋角の一枚が他と異なり、まだ青さが残っていました。 この段階での僕はまだ確固たる唯物論的現実世界にいて、オカルト的陰影を完全に拒絶しています。今でも明瞭に思いかえすことができます。蛍光灯から漏れるジリジリという音。彼が忙しなく吹かす西洋煙草の濃い煙。放棄された建物特有の据えた臭い。 会話が途絶えて間もなく、ここで小さな異変が起きます。この平屋には、和室に二か所、台所に一か所、カーテンもない曇りガラスの窓があるのですが、どこかの窓から風に揺すられた小枝の先が当たるようなコツコツという音が聞こえ始めました。ただの自然現象でしょう。別段怖くはありません。ところが、その音を聞くなり、霊感の強いこの友人は生白い顔をさらに蒼くして、
「だめだ。始まった。俺はもう無理だから車で待つ。気が済んだらお前も来い」
そういって慌ただしく出て行ってしましました。怖がりめ、と内心で冷笑しました。怖ろし気な声が聞こえた訳でも、扉を乱打された訳でもありません。やむなく僕は異変を探して、屋内の詳細な観察を始めました。唯一、今不気味な場所があるとすれば、照明がわずかに届く仄暗い台所でしょうか。あの暗い影に、こちらを覗く亡霊然とした顔があればさぞ怖ろしいでしょう。勿論、そんな顔はありません。しかしー。 ここで僕も一つの不可思議な現象を見つけました。流し台の上の蛇口の奥に、女性の腕ほどの細長い影が映じているのです。不可思議というのはその影の元となる素材が存在していないのです。僕の左肩上部に和室によくある四角い傘の付いた蛍光灯があり、台所のその位置まで遮蔽物はありません。その影の元がどこを探しても無いのです。しかも、よく見ていると、ナメクジの這うような速度でゆっくりと動いているのです。目の錯覚でしょうか。角度を変えても近づいても僕の影を重ねても消えることはありません。 ここでようやく僕の意識も崖を転げ落ちるように恐怖へと暗転していきます。影はやがて他の影に飲まれて消滅しました。動顛して思考停止しているところへ、追い打ちがかけられます。暗い台所がら不気味な女の呻きとも叫びともつかぬ声がはっきりと聞こえました。このあたりが限界です。というより限界を遙かに超えています。僕は狂ったように建物から飛び出して車に飛び乗りました。
この時には意識の下層に落ちていた理性が、音の原因を推定しています。何のことはありません。水道の蛇口から漏れ出るガスの音が、人の声のように聞こえただけのことです。それでも、僕を捉えた恐怖心は一向に消えることはありませんでした。 友人は何も聞かずに市街地の灯に向けて車を出しました。
夜が明けきるを待って再訪しました。点けたままの照明を消し、開けたままの入口の戸を閉め施錠しました。陽光の中で改めて見ると、すべてが嘘のように思えます。窓を叩いたのは枝葉だという僕に対し、友人は平屋の周りをよく見ろと言います。確かに伸びすぎた垣根も二メートル以上離れていて、建物に触れそうな樹木はありません。とはいえ、よく探せば千切れた配線や針金が見つかるかも知れません。 僕が見たと思っている影も、あるいは照明を直に観た後に網膜に張り付く残映ではなかったのでしょうか。古い蛇口は音がするものです。特に井戸水の場合、モーターでくみ上げるとき、空気が抜けます。劇的なタイミングでしたが、きっかけは通電でしょう。つまり、すべてのことに説明がつくのです。
しかし、そのような実証や証明はこのとき僕には何の意味もありません。僕の心証は僕だけのもので、他人の考察を受け付ける余地はないのです。 僕が恐怖したのは怪奇現象そのものではありません。それは現実世界において、凶器を手にし、怖ろしい形相で僕を睨みつける者から感じるような、悪意、害意、そういったものでした。 あるいはそれすら気のせいだと笑われるかもしれません。しかし、そのような危険な状況は、気のせいとするより、その感覚を信じて行動する方が無難なことに間違いはありません。
上掲は南濃町の売り工場です。土地建物で600万弱。固定資産税は約20万。
若い時分、こんな工場の一角を住居にして生活するのが夢でした。こんな歳になると、そんな気分は微塵もありません。
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