島津豊久公慰霊

「島津豊久公慰霊碑」

 滋賀まで行った帰り道、思いついて上石津町にある豊久公の墓参に行ってきました。

 結局、墓所とされている場所は解らず、「奮戦の地」との石碑に辿りつくのがやっとでした。途中で買った「信長鬼殺し」と表記のあるお酒を、何やら気まずい思いで供えて完了です。墓所とされる箇所には諸説あるようですし、そもそもご遺体はみつかっていないのだし、何処で亡くなったのかは不明ですから、これでも問題無しです。

 しかし、島津家というのはたいしたものですね。関ケ原の戦いでは西軍に属し、死地を切り抜けた後は外交で改易の危地まで切り抜け、領地を寸土も失うことなく本領安堵を勝ち取っています。我国の外交もかくあって欲しいと願います。

 ところで、豊久公以外にも、信長や土方歳三など生死不明の偉人がいますけれど、本当に史歴通りに亡くなっているのでしょうか。光秀が天海になったように、彼らほどの人物ならば、その後目立たず生きるなんてことは不可能でしょう。だからきっと、何処かへ行ってしまったことは間違いないのでしょうね。

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