墓場の廃墟?

大垣市の隣の隣、関市にあるお墓です。

写真を撮るのは二度目です。一度目は何故かデータが消滅し、今回も何故だか入口に並ぶ六地蔵が写らないという怪現象が起きました。地下で眠る方々が、無関係な闖入者を嫌うのでしょうか。

調べもせずに勝手な憶測ですけれど、この墓場、埋葬形式の古いお墓ではと想像しています。御骨を内部に収める様式の見慣れた墓石は一基もありません。地面は波打ち、ほとんどが朽ちて倒れた木の墓碑の前の、不穏な窪みのその中央には、風化して色彩を無くした供え物がぞんざいに置かれています。忘れ去られゆく墓所と観て、ひとり感慨に耽った次第です。

この場所が気になるのには訳があります。先頃遠縁の墓仕舞をしたのですが、親族が絶えたり、忘れられたり、遺棄されたお墓の行く末は、果たしてどうなるのでしょうか。考えてみると、近代におけるお墓というのは象徴的な「場所」でしかありません。荼毘の後に拾う御骨もほんの一部で、残りはまとめて処分されるとか。つまり墓所とは、親族の骨の欠片を収めた小さな石塔に過ぎないことになります。

そうすると、こちらのような埋葬形式のお墓の方がよほど有難みがあるのですけれど、といって、誰からも忘れ去られてしまうと、かえって侘しいような気がします。

僕も死んだら埋葬を希望します。遺骸とはいえ燃やすのは酷いと思うのは僕だけでしょうか。

ちなみに、荼毘後に残る金歯などは地方自治体が回収換金し、収益とするらしいです。また、自治体によっては許可制で、今も埋葬ができるとか。


上載は伊自良湖のそばの七社神社です。僕のお気に入り神社です。道路側からは背面しか見えません。しかし、入口鳥居から見上げると、三階層の境内は壮観です。

この日は、豪雨後の山間部にある物件確認です。つまり、ドライブです。岐阜市内から山県、関、根尾ときて揖斐のルートをとりました。河川はどこもまだ水量が多く、コーヒー牛乳色の濁流が目立ちます。山道は細かな落石が道を荒らしていました。

最後は不破の滝です。いつもは嫋やかな流れが、この日ばかりは瀑布です。ゴロゴロという遠雷のような響きは、激流に巨石が転がる衝撃でしょう。怖くなって早々に退散です。

今回の豪雨災害はほぼ人災とか。突き詰めれば、政治に無関心な僕らの責任ともいえますが、身過ぎ世過ぎに寸暇もない我々に代わって政治を専門に執り行うのが政治家のはずでは。高額の歳費を恥ずかし気もなく貰い、平然とサボタージュを繰り返す彼らには怒りを通り超し、・・・・。

つい暑苦しい内容になってしまいました。今では迷惑なだけの夏。愉しめる夏に戻したいものです。

OICS

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